上野の不忍池の周辺の思い出
小学校のときは不忍池に簡単な釣り道具を持って、よく友人と遊びに出かけていました。
釣りをして係員に見つかると、一目散に逃げたものです。
不忍池の近くには、上野動物園があり、中学の仲間の初デートの場所としてよく利用されていましたね。
桜のシーズンには、毎年、満開の桜が楽しめますが、最近は、混雑がすごくてなかなか行く機会がなくなりました。
不忍池は、上野周辺の名所の中心で、徒歩数分で、西郷隆盛の銅像やアメ横にも行けます。
また、地図で見るとすぐにわかりますが、東京大学も、不忍池の道をはさんだすぐのところにあります。
子供の頃から慣れ親しんできた不忍池周辺ですが、ある時から超高層のマンションなどができはじめました。
私は、東大病院に定期的に受診で通っているのですが、ある時、中尾彬さん・池波志乃さんご夫妻が住んでいる、ということを聞いて、マンションを見上げては、お二人の姿を思い浮かべていました。
「終活」について考えるきっかけになった中尾彬さんと池波志乃さん夫婦
そんな中尾さんは、本誌でも終活についてこう語っていた。 「最初に用意したのは遺言。次が墓。それから、徐々にモノを減らしていった。千葉にあったアトリエも、沖縄のマンションも手放しました。(中略)私がいつも首に巻いている“ねじねじ”も、200本を処分しました」(2018年9月21・28日号)
引用元:週刊ポスト2024年6月7・14日号80もの寺院が建ち並ぶ、東京・台東区の谷中地区。色鮮やかなアジサイが咲き始めたとある寺院に、角のない墓石を3つ重ねた個性的なデザインの墓が建っている。「無」の文字が刻まれたこの墓は、5月中旬に亡くなった中尾彬さん(享年81)が生前に建てたこだわりの墓だ。中尾さんの逝去は、ごく一部の限られた関係者にしか知らされていなかった。
「亡くなったのは5月16日頃だと聞いております。あまりにも急でした。長年の友人や仕事関係者にも知らせなかったのは、奥様の池波志乃さん(69才)の意向なんです。中尾さんと志乃さんは、どういった最期を迎えるかをずっと話し合っていて、中尾さんは“静かに送ってほしい”という考えがあった。志乃さんはそれを守ったのです。
生前の中尾さんは“葬儀もお経もいらない”と言っていたそうですが、周囲が“さすがに寂しい”と、本当に限られた人だけが集まり葬儀が執り行われました。志乃さんは参列者に感謝を伝え、落ち着いた対応をされていたそうです。ただし、憔悴した表情ではありました」(池波の知人)
実は、今日も東大病院の定期受診日で、自転車で不忍池の前を通ったときに、いつかは、自分にもやってくるこの日のために、自分はどういう「終活」をしていけばいいか、と思いながら、マンションを見上げていました。
中尾彬さんのお墓いいですね!
合掌